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マスコット
2008/07/28

  5つのラッキーチルドレン

  2008北京オリンピックの1000日前、2005年11月11日、5つのかわいい「福娃」(ラッキーチルドレン)がお目見えした。

  魚をイメージした貝貝、森林から来たパンダ晶晶、オリンピック聖火の歓歓、中国西部からのチベットカモシカ迎迎と北京の燕・妮妮。それぞれのマスコットには、繁栄、愉快、激情、健康と幸運という願いが込められ、貝は北、晶は京、妮は你と同じ発音で、5つの名前の1文字ずつをつなげて読むと、「北京歓迎你ようこそ北京へ)」となる。

  国際オリンピック委員会のロゲ会長は、北京オリンピックのマスコットの発表に際して、「福娃」は中国のすばらしい家庭を表しており、世界の隅々まで友好を運び、オリンピック史上最も愛されるマスコットになることを信じている、と文書で祝いの言葉を寄せた。

  北京の厚情と祝福を携えたマスコットは、世界各地の人たちを北京に招き、2008年の北京オリンピックを祝う。

  地方政府の「マスコット申請」活動

  2008北京オリンピックが決まって以来、オリンピックマスコットに対する期待から、次々とマスコットの申請や予測が始まった。

  2002年の10月には、江蘇省連雲港市政府が、北京オリンピック組織委員会に対して、孫悟空をマスコットに申請した。連雲港市にある花果山は、孫悟空の生まれた所だといわれている。

  オリンピックが開かれて100年ほどになるが、地方政府が「マスコット申請」活動を推進したのは初めてである。連雲港市長は先頭に立ち、専門の組織委員会を設立し、中国で初めての「マスコット申請」専門のホームページを立ち上げた。そして同市の1万人の小学生たちは、孫悟空をマスコットにしたいという署名の手紙を、国際オリンピック委員会のロゲ会長と、前会長のサマランチ氏に送る活動をした。

  四川省ではパンダ、青海省ではチベットカモシカ、北京市では「兎児爺」(ウサギの頭、人間の体をした北京の伝統的な泥人形)、甘粛省では竜など、地方政府の組織のもと、各地の「マスコット申請」活動が火花を散らした。

  高まるマスコットへの関心

  マスコットへの関心は、国内のデザイナーや庶民にも高まり、デザイン愛好者たちは、3000あまりに上るデザイン案を出した。海外に居住する中国人や華僑、留学生を始め、イギリス、アメリカ、韓国、日本、インドなどの外国人デザイナーたちも作品を寄せた。

  インターネットでは、様々な意見が飛び交い、竜と鳳凰を支持する人や、漢字の形を変えてアニメキャラクターを作り、それをマスコットにするよう提案する人もいた。インターネットで検索をすると、マスコットに関するメッセージが、10万件近く見られた。

  2004年8月5日、北京オリンピック組織委員会は、マスコットのデザインの募集を世界に向けて呼びかけた。2004年12月1日までに662点の作品が寄せられ、610点が中国大陸部のもので、香港、澳門、台湾からは12点、国外からは39点の応募があった。

  マスコット作りのプロジェクトチーム

  2004年12月15日、北京オリンピック組織委員会は、画家の陳逸飛氏、「童話の第1人者」と称される鄭淵潔氏を含む24人の芸術、文化関係の専門家を招き、662点の作品の選定を行った。画家のホウ邦本氏は、「マスコットを選ぶ際、表現の鮮明さや、中国の特色を備えていることはもちろんのこと、今後のキャラクター商品開発や、アニメの制作のことも考えた」と語る。

  最終的に56点の作品が選ばれ、12月17日、オリンピック組織委員会は審査委員会を設け、パンダ、虎、竜、孫悟空、デンデン太鼓、阿福(福々しい姿をした人形)の6点の作品を、修正することに決めた。そして、2004年末から、2005年6月、画家の韓美林氏をリーダーとする9人の専門家グループが、マスコットの修正と新たな創作を担当することになった。

  選ばれた6点の作品は、それぞれ長所もあるが、欠点もあった。パンダはとてもかわいいが、太くてぶくぶくした姿は、オリンピックのスポーツ精神に合わない。京劇の隅取りをした陝西省の「寿猿」は、色調が暗く、スタイルも頭部が重く脚が軽いため、一歩及ばなかった。

  専門家グループは、デンデン太鼓に注目していた。デンデン太鼓は、かつて行商人が街を歩き回るとき、お客を呼び寄せるために鳴らしていたもので、その後、庶民のおもちゃになった。民族の特色を持ったデンデン太鼓は、現在、試合の応援時に鳴らされるなど、会場の雰囲気を盛り上げる物になっているが、その構造上、スポーツキャラクターとしてはあまり適さない。専門家たちは、パンダ、虎、猿などを組み合わせたデザインも試みたが、独創的な形を生み出すには至らなかった。

  人類と自然の調和

  2005年3月12日、専門家グループはもう一度、入選した50点のデザインを振り返り、新たな模索を始めた。そして、専門家たちを引きつけたのが、「五行」の木、火、土、金、水の独創的な「五彩娃」を描いた1枚だった。

  「五行」は中華民族の知恵の精華で、「五福」(知福、幸福、惜福、享福、造福)、「五方」(東西南北中)など多くの面に現れ、オリンピックの「五輪」の概念にも関係する。

  「すでに夜中の一時を回っていたけれど、みんなとても興奮し、その夜にすぐ、5つのイメージデザインを描いた」と、韓美林氏は当時を振り返る。愛をテーマにしているので、子供の姿で、人類と自然の調和を考え、小さな動物の要素も取り入れた。

  中国の子供は、虎の頭の模様をした帽子をかぶる習慣がある。専門家たちは、それを参考にして子供と小動物を一緒に合わせた。こうして、小動物を飾った帽子をかぶり、大きな頭をした子供のデザインが誕生した。

  「竜」から「燕」へ

  2005年4月29日、北京オリンピック組織委員会は、マスコット修正案の審査選定を行った。生き生きとし、かわいい「中国の子供」(聖火、パンダ、魚、チベットカモシカ、竜)は、北京オリンピックマスコットとして理想の姿に近い。

  しかし竜については、質疑が行われた。威厳を持った中国の竜は、ほかの4つの平和でかわいらしいイメージとは異なる。北京オリンピックのキャッチフレーズである「一つの世界、一つの夢」は、中国人の団結、調和のとれた美しい未来への追求を表現しているが、皇帝を象徴する竜は、平等の理念に相反するとされた。そして最終的に選ばれたのが燕だった。

  かつて北京は「燕京」と言われ、沙燕(凧の1種、左右に翼がのび、尾が2股に分かれてツバメのような形をしている)は北京特有の凧で、北京を代表するものの1つであることから、結果的に燕で一致した。

  中国伝統文化をモチーフに

  かわいい「福娃」の姿が多くの人に受け入れられても、一部の人たちは、現代感覚に乏しいデザインで、1970、80年代のアニメキャラクターのようだと指摘する。韓美林氏は自らの見解として、「若い人たちが今好んでいるのは、韓国や日本のもので、中国のものではない。『福娃』は、中国の民族的、庶民的、古い歴史的なものや、忘れられてしまったものを新たに表現している」と言う。

  「福娃」の頭の飾りは、中国新石器時代の魚紋、宋代に作られた磁器の蓮の花、敦煌壁画の火炎紋様、青海・チベット高原や新疆などの西部地区のファッション、北京の沙燕凧の図案など、様々な文化を盛り込み、細部に至るまで文化的な意味を持っている。

  視覚的には、流れるようなラインを用いず、筆で輪郭を描いた。輪郭からはみ出たような色付けも、中国民間の木版年画の手法を用い、中国の伝統文化と想像力を表現した。

  専門家は、「中国独自のものを世界に押し出すことで、世界の人たちに中国を知ってもらい、グローバル化の中で、民族の個性を表現した」と語る。

  マスコットの経済効果

  北京の繁華街・王府井の工芸美術ビルには、オリンピック商品を専門に扱う特約店がある。自分の好きなオリンピック記念品を買い求めるために、年配者や子供、若いカップルが、商品のカウンターを取り囲んでいた。

  マスコット商品を一番に買ったのは、76歳の藍翔さんだった。彼は、マスコットが初めて登場したミュンヘンオリンピックから、毎回、開催されるオリンピックのマスコットをコレクションしている。「福娃」が発表された翌日、わざわざ上海からやってきて、待ち望んでいた北京オリンピックマスコットを買い求めた。

  特約店の店員の話によると、78元のぬいぐるみが、もっとも喜ばれており、この商品を1つ作るためには、40以上のプロセスが必要で、オリンピックマークも1つ1つ手で刺繍されているため、常に品切れ状態にあるという。

  2005年11月11日から、中国各地の特約店では、約50万点のマスコット関連商品が売り出された。おもちゃ、衣料品・服飾品、かばん、文房具、貴金属記念章、バッジなど6品目、300種類近くの商品が作られた。その中には、8元の蛍光ペンから、十数万元の貴金属の記念章まで、様々な価格のものがある。

  消費者が購入しやすいように、北京オリンピック組織委員会は、営業許可を得た28の特約店のほかに、160カ所の臨時の販売店を開き、全国の30近い省、直轄市、自治区をカバーするとしている。専門家は、北京オリンピックのマスコットの利益は、25億元を超えると予測している。

 

(「人民中国」ウェブサイトより)

 
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