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「私の好きな中国映画」作文コンクール三等賞佳作(二)
2022-10-10 17:51

若きグー・シャオガン監督の「春江水暖~しゅんこうすいだん」

重本 雅江


2月はじめ、私が2013年夏、北京の語学短期留学時にお世話になった現在は神戸にお住まいの先生から“中国駐大阪総領事館が「私の好きな中国映画」をテーマとした作文コンクールを開催、もし興味があれば是非応募してみて下さい”とメールが届きました。

私はこのコロナ禍の2年間は、片手で数えられる程の映画しかみていませんでしたが、昨年の3月、「春江水暖」という題名の大変響きが良く温かみのある言葉に惹かれて中国映画を見ていました。私の住む札幌は今季異例の大雪に見舞われ更にオミクロン株の第六波で私は巣ごもり生活の日々でした。それでも3月も中旬になると雪解けが進み北国も季節は確実に巡り待ち焦がれた春の訪れです。今年の春は、私は日中国交正常化50周年という節目の記念に作文に挑戦です。映画を見終えた後の私の“四季折々の映像が圧巻”の気憶とその時買い求めたパンフレットにある監督へのインタビューが頼りです。

若きグー・シャオガン監督の長編第一作「春江水暖」の題名は、宋代の文豪・蘇東坡がこよなく愛した富春江の風景をうたった詩句の一節「春江水暖鴨先知」からとりました。

映画の舞台は、はるか昔より大河富春江がゆったりと美しく流れる杭州市富陽。監督は北京電影学院で勉強した後、2016年夏、脚本を書くために故郷富陽に戻った。富陽は2014年杭州市の政令都市になり、2022年のアジア競技大会の開催も決まり街は大規模な再開発で急激に変わろうとしていた。この大きな変化を目の当たりにして故郷の変わりゆく今を記録しなければという思いに監督は突き動かされる。元代の画家・黄公望が富陽を描いた山水画の傑作絵巻「富春山居図」にヒントを得て、監督の家族をモデルに今を生きる家族の四季折々の日々を描くと同時に街の歴史や今、そして未来を感じさせる現代の山水絵巻のような映画を監督は目指したのです。

夏から始まる冒頭のシーンは富春江そばの黄金飯店で老母の誕生祝宴が始まっている。母のために4人の兄弟や親戚が集う。金繰りが苦しい飯店主の長男、妻は娘グーシーの結婚相手選びに熱心で文句が多い。漁師が生業の次男、男手ひとつでダウン症の息子を育てる借金まみれの三男、独身を楽しむ四男は取り壊し現場で働いている。その祝宴の最中、母が脳卒中で倒れる。認知症気味の母を誰が見るかという4兄弟と母親の関係、介護の問題が浮かび上がる。恋と結婚に直面する孫たちは一人っ子世代。グーシーと恋人のジャン先生は自分で生きる道は自分でつかみ取ると行動する。

監督は富陽のある瞬間をリアルにそして人々の情感を豊かに映像化するためには、実際にそこで生きている人に演じてもらうことが大事と考える。老母と孫娘以外は監督の親戚や地元の知り合いの方々が登場する。ごく自然体で自分に近い役をより現実性を増して演じている。

私も見入った夏の富春江岸辺の美しい風景が余すことなく映し写し出されるグーシーと恋人のデートシーンは「横スクロール」といわれる見事さ。富春江を泳ぐグーシーの恋人を10分以上もカメラが横に移動しながら河の上からずっととらえ続けている。このような映像は、苦労して資金を集めながら2年かけて季節ごとに分けて長編を撮影する中から生まれている。また一緒に仕事をしたクルーとは同世代の仲間で共に成長できたり、映画の創造性を楽しみながらのチャレンジ・スピリットを共有していました。

1988年8月11日は、グー・シャオガン監督の誕生日です。時も同じくその頃私は、夏季休暇を目いっぱい使って中国語が堪能な女性2人に同行して北京、天津、瀋陽、通化、大連などをまわりました。私の中国デビュー、38歳の時です。“中国のエネルギー”をいっぱいもらっての帰国以来、私はこれまで機会を見つけては中国映画、中国への旅行などを楽しんで元気をもらってきました。私は今回作文を書きながら勝手に若きグー・シャオガン監督へのエールと共にひとりファン宣言をしました。

「春江水暖」の最後は(巻一完)となっています。三部作の第一作だったのです。二作目の舞台は長江に沿って移動し“絵巻”のように描く予定、順調に進めば2022年は撮影開始。来年の春頃には公開できる手はずでしょうか。

私はコロナの収束とともに札幌の地でまた、若きグー・シャオガン監督の映画に出会える日を心待ちにしているのです。

 
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